「A級戦犯」東條英機は、日米開戦を回避しようとしていた。

 

A級戦犯東條英機は日米開戦を回避しようとしていた。
 
保阪正康

陸軍省軍務局と日米開戦』

中央公論文庫

~霧名亜夜斗の「この本で歴史を学びなさい」~

 

    《内  容》

東條内閣成立から対米英開戦に至る運命的な昭和十六年の二ヶ月を、陸軍の政治的中枢である軍務局の首脳の動向を通して、克明に追求した迫真のドキュメント!!!

 

 

    《解  説》

 

陸軍大将・東條英機というと、一般的には、

A級戦犯」であり、

「強権政治を行って日米開戦に突き進んだ独裁者」

と理解されています。
しかし、近代史を研究している歴史学者・研究家の間では、このような理解は、「俗説に過ぎない」とされています。

 

実際の東條は、内閣総理大臣就任(陸軍大臣と内務大臣を兼任)後も、前政権である近衛内閣の方針を引き継いで、米国との外交交渉をなんとか継続しようとしていました。

本書は、東條が率いる陸軍省の政治的中枢機関である「軍務局」の若き幹部である石井秋穂(いしい・あきほ)中佐の視点を通じて、東條内閣の成立から日米開戦に至ってしまった経緯が解き明かされています。

東條と軍務局は、日米開戦を避けようと必死に政治工作を試みます。
その間、開戦強行を目論む参謀本部は、なんと東條らを、

変節漢」、

「裏切者」、

と批判していたのです。

さらに、それまで日米開戦を渋っていた海軍が開戦論に傾きます。

そもそも対米英戦争は、日中戦争のような「大陸の戦争」とは違い、「太平洋の戦い」です。
陸軍側が対米英強硬論を唱えても、海軍が同意しなければ、戦争にはならないのです。

東條達は、日米開戦を回避するべく、大本営政府連絡会議を開いて、陸軍参謀本部と海軍を懸命に説得しようとするのですが・・・・・

世間一般に流布している「東條英機が日米開戦を主導した」は、戦後作られたイメージであり、「真実」には程遠いということなのです。

 

 

 

日本の近代史、特に日米開戦時に於ける東條内閣の動きや、太平洋(大東亜戦争)開戦の経緯に関心を抱く人に、あるいは東條英機その人について知りたい方に、本書を強く推薦いたします。

詳しくは、こちらです

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著者略歴

ほさか・まさやす

1939年(昭和十四年)、北海道に生まれる。
同志社大学文学部社会科卒業。
フリーのノンフィクション作家として活躍中。昭和史、医療関係の著作には定評がある。
昭和史研究の第一人者。
著書に『死なう団事件』、『大学医学部』、『東條英機天皇の時代』、『秩父宮昭和天皇』、『真説・光クラブ事件』などがある。